阿蘇山という山はない

熊本のことをいろいろと。

4月18日の水前寺公園

4月18日は月曜日。
3日ぶりに自宅で寝たせいか、体の疲れはとれたような気がする。
前日から決めていたとおり、外出して被害の状況を見てくることにしました。
道路の状況がどうなっているか分からないけど、中央区水前寺公園へ。
水前寺公園前参道にある無料の休憩スペースで、点字楽譜「ブレイルフレンド」の

作品展をすることになっていたのです。
4月18日から。今日からです。

もちろん、そんな状況じゃないので中止なんですが、会場の様子を念のため見にいって、職員の方が片付けなどされていたら手伝うつもりでした。

地震以降初めて車を運転します。
通いなれたいつもの道路は、マンホールが飛び出していたり道路に亀裂や段差ができて
運転するのがちょっと怖かったですが、水前寺公園までたどり着くことができました。

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参道前の立派な鳥居が壊れて、売店を直撃していました。
いつもなら観光客でにぎわっているはずの通りはガラーンとしていて、鳥居の柱の横の
せまい隙間?みたいな道から地元民と思しき人が数人歩いていました。
一応県内でも有数の観光地なのに、こんなに静かな水前寺公園は初めてです。

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公園の入口にある灯籠がことごとくひっくり返っています。
作品展の会場は、シャッターが下りていました。
そりゃそうだ。それどころじゃないよね。

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灯籠の手前にあるいきなり団子屋さんと、お土産屋さんが1軒開いていました。
出来たてアツアツのいきなり団子を5個買いました。
こんなときにお店があいていることにすごくホッとします。
お店の人も、いつもなら「ありがとうございます」と言うところなんでしょうが、
「助かります」と言われました。
せっかく仕入れた分は売ってしまいたいだろうけど、誰も来ないよね。

温かいいきなり団子を食べたら、不思議と元気がでました。
食べ物の力ってすごいな。

作品展は中止だけど、幸いなことに作品やコンテンツはそのまま無事に残っている。
これからどうしよう。考えよう。

4月17日は何してたっけ?

テレビによると16日の夜からは大雨の予報。

2回の震度7のせいで地盤がどうなってるかわからないので、夜になって妹家族と一緒に避難することにしました。
とりあえず、14日に避難した近所の公民館に行くと、駐車場はどこも空いてなくて隣の町営グラウンドに停めることにしました。
グラウンドも車でいっぱいで、何の祭りだよって感じでした。

何とか車を停めたのはいいけど、出入口が限られているので、いざ避難するときダメでしょ。
小4の甥も同じことを考えたらしく、
津波が起きたら逃げられない。他のところに行こう」
と言い出しました。
父も、孫の意見を採用して前日泊まったルネサス(旧NEC)に移動しました。

車中泊も3日目ともなると、さすがに体がキツい。
体が辛いと精神的にも参ってくるんですかね。
堪らずに、東京や県外にいる友人に「もうイヤ」と愚痴メールをしました。
そして、深夜になると雨がいよいよひどくなってきました。
雨音がうるさくて寝れない。

相変わらず心身辛いけど、友人に愚痴って、少しスッキリしたのか、これから先どうするかを考えることにしました。

どうせ眠れないんだから、考えろ。
本当だったら18日から点字アートの作品展をするはずだったけど、この有り様じゃ中止だな。
水前寺の会場はどうなってるだろう?
ニュースでは、水前寺公園はひどいことになってたので、無事ではないだろう。
月曜日(18日)になったら、とりあえず会場を見に行こう。
もしスタッフさんがいたら片付けを手伝おう。
ついでに市街地の被害状況を自分の目で見ておこう。
そして、夜が明けて家に帰ったら、少し日常のことをしよう。
ニュース以外のテレビを見たい。
日曜日だし「真田丸」を見よう!

そして、「真田丸」を見終わって、父が今夜も避難しようと言い出しましたが、私は家に残ると言いました。
車に4連泊は無理。
具合悪くなる。
父も去年は大病したので、あまり無理はしてほしくない。

余震は怖いけど、色々覚悟して家で寝ることにしました。
両親も強くは反対せず、避難はしませんでした。
その代わり、懐中電灯と携帯を枕元において、部屋の明かりはつけたまま、パジャマではなくすぐ外に出られる服を着て寝ました。

4月16日は何をしてたっけ?

外灯も停電して渋滞の中、一人で避難するため歩こうとするおばあちゃんが目に飛び込んできました。
運転している父はもちろん、後ろの座席にいる母と祖母は気づかない。

どうしよう。
車に乗せてあげた方がいいよね。
けど、車は渋滞で停まっているだけで、いつ動くかわからない。
助けようと外に出たとたん津波がくるかも。
頭ではおばあちゃんを助けた方がいいのは分かっているけど、どうしても体が動きませんでした。
固まっているうちに車は動き出して、おばあちゃんを追い越していきました。
たぶん、時間にしたら数十秒くらいのことだったと思います。

すぐに、後ろを走っているはずの妹の車が付いてきてないことに気がつきました。
父が携帯を取り出して、メールしようとしましたが、なぜかメールの調子が悪くて文字が打てません。
それ以前に運転中に携帯をさわる方が危ないので、私がメールすることに。
実は、私と妹は昔から仲が悪くて普段はほとんど会話がありません(^_^;)
携帯の番号もお互い知らなかったくらいでした。
あるきっかけがあって、ようやく2年ほど前に妹の番号を登録していたのです。
私のスマホから、ショートメールで妹と「今どこ?」「○○のあたり」「○○で落ち合おう」とやり取りして、はぐれずにすみました。

結局、川尻駅までは行かずにルネサス(旧NEC)の広い駐車場で待機することにしました。
道路が悪いし、川尻の町中もどうなってるかわからないなか、むやみに動くよりは、広い場所にいたほうがいいと思いました。
ここも続々と避難してきた人たちでいっぱいになりました。

しばらくすると、停電していた外灯に明かりがつきました。
すごいな、九州電力
電気がつくって、ありがたい!
戸締まりのために意を決していったん家に戻りました。
家は、電気つけっぱなしの玄関開けっぱなしでした。
戸締まりをして改めてルネサスの駐車場で夜が明けるのを待ちました。

14日の地震が起きてから、
「なんで?意味が分からん」
と何回もつぶやきました。
声に出したり出さなかったり。
地震に意味なんてないんです。
ただ地面が揺れただけ。
それは分かってるんだけど、気がついたら「なんで?」問いかけていました。

朝になって家に帰って、被害の状況を確認すると、お風呂のタイルと外壁が少し剥がれていました。
きのう片付けた私の部屋は、またぐちゃぐちゃになっていました。
それ以外は、水道もガスも電気も使えました。
とはいえ、いつ断水するかわからないので、水をペットボトルにストックしました。
(実際に翌日からは、時間制限つきで断水しました。)
うちは水道とは別に井戸水もあります。(田舎あるある。)
井戸水の色が若干濁っていたので飲料水にはせず、トイレ用水としてストック。

家族で朝食を食べてから、テレビで被害の様子を見ていました。
熊本城や阿蘇神社が倒壊、益城町のひどい様子、阿蘇大橋が崩落、新幹線が脱線。
どこもよく知っている場所です。
私の大好きな場所が、こんな形で全国ネットのテレビに映るなんて、意味が分からん。
そんなことを考えながら、昼寝することにしました。
2泊も車で過ごしたので夜はほとんど寝ていませんでした。
寝れるときに寝ておこうと、ウトウトすると余震で起こされて庭に出る、の繰り返しで、結局昼もあまり寝れませんでした。

4月16日は何してたっけ?

4月16日(15日の深夜)に2回目の震度7で目が覚めて、まさかの津波警報

震源は前日と同じ益城町阿蘇
海に近い我が家とは、だいぶ離れてるのに津波
うそでしょ?
と思ったけど、警報は鳴っている。

家族と、とにかく海から離れるために車で避難することに。
財布や着替えは車に積んだままだったので私はスマホだけ持って、祖母を車に連れていく間に、母は妹に一緒に避難するから、今から妹宅へ行くと電話。
事態が飲み込めない祖母を怒鳴ってしまった。

車に乗ろうとするときに、父に
「たろうはどうする?」
と一応確認するけど、たろうくんは置いていくことに。
たくろうくんもよしだくんも連れていかなかった。
本当にごめんね、たろうくん。たくろうくん。よしだくん。

当時は、そんな感傷に浸る余裕もなく、玄関の鍵も締めずに家を後にしました。
そして近所に住む妹宅へ行くと、妹は小4の甥と小2の姪を車に乗せようとしているところでした。
妹家族と車2台で、海から離れようと移動します。
きのう車中泊した避難所は近所なので、津波の避難場所にはならない。
もっと遠くへ行かなきゃ。

父の運転で、とりあえず南区の川尻方面への道を走ると、すでに多くの車が避難を始めていて、渋滞になりそうでした。
停電してるので信号も消えてるし、道路には倒れたブロック塀の破片がいたるところに散乱して、道路もヒビが入ったり波打ったようにデコボコになったり、マンホールが飛び出して丘みたいになってるし、現実のことだと受け止めきれるものでは在りませんでした。

川尻へ向かう途中、渋滞して川の前で車が止まってしまいました。
本当に津波が来たら、後ろからの波と別に、川を逆流してくる波があるはず。
今止まっている場所は、ちょうど挟み撃ちになるかもしれなくて焦る。
けど、動かないものはどうしようもない。

そんなことを助手席で考えながら、ふと、窓の外を見ると、道路沿いの家から、80才くらいの腰の曲がったおばあちゃんがヨロヨロと一人で出てきたのです。
そして、その家の前にあった手押し車
を持って、フラフラと歩き出そうとされました。
こんな真っ暗闇で沢山の車が行き交うなか、一人で歩いて避難するつもりみたいでした。

4月15日は何をしてたっけ?

4月14日に起きた地震から丸1日たった夜になって、不在だった猫のたくろうくんがようやく帰ってきました。

たくろうくん。
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地震に驚いて、どこかでじっとしていたんでしょう。

昼間は姿を見せなかったのです。

よしだくんはまだ帰宅しません。

よしだくん
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1日ぶりの食事をすごい勢いで食べ終えたたくろうくんは、人間のそばから離れません。

よっぽど怖かったんでしょう。

動物は地面に近いから、揺れをダイレクトに感じるんですかね。


夜寝るときになって、今夜も避難所に行くかどうか家族で検討した結果、自宅にいることにしました。

「余震も落ち着いてきたし、もう大丈夫だよね」と言いながら。

ただ、普段2階に寝ている両親と私は1階に降りてこたつで寝ることに。

いつでも外に出られるように、貴重品や毛布は車に積んだままにして懐中電灯や携帯は枕元において寝ました。

そしたら、たくろうくんが私のおなかの上に乗ってきて熟睡しちゃいました。

たくろうくんは体重6キロくらいあるので、重いし熱いのでかなり迷惑だったんですが、怖い思いをしたんだから仕方ないと、そのままにしておきました。

寝ようと電気を消したのが確か12時ごろ。

なかなか寝付けなくて、ようやくウトウトしだしたころ、下のほうから地鳴りみたいのが聞こえるな~気のせいかなとぼんやりしていたら、ガタガタとすごい揺れが襲ってきました。

携帯から緊急地震速報のアラームがなり、慌てて飛び起きた私に驚いて、おなかに乗っていたたくろうくんがビューっとどこかに走り去っていきました。

引きとめようとしたけど、すごい揺れで、それどころじゃない。

しかも今度は停電。昨夜は停電しなかったのに。

事の重大さを悟ります。

そして、父が「津波警報が出たぞ」と。

実は、津波警報がどんな音だったのか記憶がありません。

私も一緒に聞いてたはずなんですけど、揺れるガタガタする音や緊急地震速報とごっちゃになって聞き取れなかったのかも。

今さら思い出したくもないですが。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月15日は何をしていたっけ?

余震が続くなか人生初の車中泊をすることになったんですが、ぐっすり眠れるわけもなく、目を閉じてひたすらじっとするしかありません。

我が家の車は「フリード」(普通車)なので、そんなに狭くはないんですが、運転席に母、助手席に私、後ろに祖母と親戚のおばあちゃんの4人で一晩過ごすってなるとキツいですよ。
いくら家族といっても、普段は一人で布団に寝てるのに。
私にとってはこれが一番のストレスでした。
ちなみに父は、家の見回りとか動くので別の軽トラで車中泊
(うちは農家なので、普通の車以外にトラックがあるのです。田舎あるある。)
妹と、その子供ふたりは妹の車で車中泊
本当は妹の旦那さんもいるんですが、海外出張中で不在。

とにかく、車の中で朝を待つしかないと、ようやく落ち着いたものの眠れないし暇なので、スマホ地震情報をチェック。
ほったらかしにしてたFacebookを久しぶりにみると、すでに色んな情報が飛び交っていました。
友人の多くが「無事です。○○の避難所にいます。」と安否情報を載せていたので、それにならって私も「無事です。」とお知らせ。
個別対応は大変だしね。
そこまでしたら充電がそろそろ危なくなりそうだったので、もう無理矢理寝ました。
そして、うっすら空が明るくなったころ家に戻りました。

4月15日に日付かわって家に戻り、被害の状況を確かめると、電気や水道ガスなどライフラインは何ともなくて一安心。
2階にある自分の部屋は、物が散乱してすごいことになってましたが(^_^;)
本棚が倒れて中の本が飛び出してるし、姿見の鏡が倒れてるし。
鏡が割れてなくてラッキーでした。
とはいえ、余震がおさまらないので鏡は倒したままにしておきました。

ある程度片付けたら、またテレビで地震情報をチェック。
ニュースキャスターが「被災地の皆さん」と呼び掛けるのが、最初意味が分かりませんでした。
熊本の映像が流れるの見て、
あぁ、熊本のことを言ってるのか。
そうか、ここは被災地になったのか。
と、不思議な感じでした。
「被災地」「被災者」なんてないよ。
テレビの人が勝手に言ってるだけで、自分達は何も変わってないよ。
そんな反発にも似た気持ちになりました。


夜になって「報道ステーション」を見ると、富川アナウンサーが益城町にいるんですよ。
3月末で降板した古舘伊知郎キャスターから引き継いで司会になった富川アナ。
古舘時代は、全国飛び回って現場から中継していた富川アナ。
一体地球何周分移動してるのか富川アナ。
富川アナだけじゃなく、他のチャンネルのニュースでも、普段は東京のスタジオにいるキャスターたちが熊本にいるのを見て、それだけ大きな事件なのかと知りました。

4月14日は何をしていたっけ?

入浴中に地震にあい、シャンプーもせずにお風呂から出た私は、家族と一緒にテレビをつけて、被害の状況をチェック。

震源地はどうやら益城町阿蘇のあたり。熊本市内でも被害が出ているらしい。

けど、この段階ではまだ余裕がありました。
停電もしなかったし、南区で海の近くにある我が家は、阿蘇まで車で1時間以上離れてるし。
今は実家に家族と住んでいるので、一人じゃないという安心感もありました。
テレビを見ている間に何度も余震で揺れるので、その都度庭に出てしばらく待機。
玄関先に座っている間に、地元の友人数人にメールやラインで安否確認をしました。
一人暮らしの女性数人に「大丈夫?」とメールすると、割とすぐ
「怖かった。避難したほうがいいかな」
と返信が来ました。
「怖いなら避難所に行きなよ。一人にならないほうがいいよ」
とさらに返信したあたりで、もう大丈夫かな?と屋内に戻りテレビを見ていると、また揺れて庭に出るのを何度か繰り返し。
これじゃきりがないので、避難所に行こうとなったのが、確か23時を過ぎたころだったと思います。

貴重品と着替えとペットボトルの水と毛布を車に積んで、両親と祖母と一緒に家を後にしました。
我が家は犬1匹、猫2匹飼っているんですが、ペットは置いていくことにしました。
うちは田舎なので、猫は室内飼いはせず普段から外に出しています。
このときも2匹とも外出中。

たくろうくん 12才。
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よしだくん 3才。
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たろうくん 4才。
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犬は庭の犬小屋にいます。(一城の主です)

避難所に犬は連れていけないし、犬を普段から車に乗せてないので、かえってストレスになるだろう、と仕方なく留守番してもらうことにしました。

そして、近所で一人暮らししている親戚のばあちゃんを迎えに行き、同じく近所に住む妹家族(妹、甥、姪)の車と合流して、地元の公民館へ移動しました。
公民館も車で数分のところなので、避難しようと決めてから、避難所に着くまで20分くらいだったと思います。
避難所になっている公民館は人だかりになっていて、とても中に入れません。
広い駐車場も車でいっぱい。
こんな田舎のどこにこんなに人がいたのか!

どうやら、海沿いに住む人たちが津波を警戒して早めに避難してきたらしいです。
避難所の中はお年寄りとか体の不自由な人が優先で、私たちは車の中で朝になるまで待機することに。
なんとか妹家族と一緒に駐車できるスペースを見つけて、車を停めました。
しばらくすると、市の職員が車の窓を1台ずつノックして、「毛布いりませんか?」と丁寧に聞いて回って来られました。
うちは持参したのがあるので、必要なかったけどありがたかったです。