阿蘇山という山はない

熊本のことをいろいろと。

4月16日は何をしてたっけ?

外灯も停電して渋滞の中、一人で避難するため歩こうとするおばあちゃんが目に飛び込んできました。
運転している父はもちろん、後ろの座席にいる母と祖母は気づかない。

どうしよう。
車に乗せてあげた方がいいよね。
けど、車は渋滞で停まっているだけで、いつ動くかわからない。
助けようと外に出たとたん津波がくるかも。
頭ではおばあちゃんを助けた方がいいのは分かっているけど、どうしても体が動きませんでした。
固まっているうちに車は動き出して、おばあちゃんを追い越していきました。
たぶん、時間にしたら数十秒くらいのことだったと思います。

すぐに、後ろを走っているはずの妹の車が付いてきてないことに気がつきました。
父が携帯を取り出して、メールしようとしましたが、なぜかメールの調子が悪くて文字が打てません。
それ以前に運転中に携帯をさわる方が危ないので、私がメールすることに。
実は、私と妹は昔から仲が悪くて普段はほとんど会話がありません(^_^;)
携帯の番号もお互い知らなかったくらいでした。
あるきっかけがあって、ようやく2年ほど前に妹の番号を登録していたのです。
私のスマホから、ショートメールで妹と「今どこ?」「○○のあたり」「○○で落ち合おう」とやり取りして、はぐれずにすみました。

結局、川尻駅までは行かずにルネサス(旧NEC)の広い駐車場で待機することにしました。
道路が悪いし、川尻の町中もどうなってるかわからないなか、むやみに動くよりは、広い場所にいたほうがいいと思いました。
ここも続々と避難してきた人たちでいっぱいになりました。

しばらくすると、停電していた外灯に明かりがつきました。
すごいな、九州電力
電気がつくって、ありがたい!
戸締まりのために意を決していったん家に戻りました。
家は、電気つけっぱなしの玄関開けっぱなしでした。
戸締まりをして改めてルネサスの駐車場で夜が明けるのを待ちました。

14日の地震が起きてから、
「なんで?意味が分からん」
と何回もつぶやきました。
声に出したり出さなかったり。
地震に意味なんてないんです。
ただ地面が揺れただけ。
それは分かってるんだけど、気がついたら「なんで?」問いかけていました。

朝になって家に帰って、被害の状況を確認すると、お風呂のタイルと外壁が少し剥がれていました。
きのう片付けた私の部屋は、またぐちゃぐちゃになっていました。
それ以外は、水道もガスも電気も使えました。
とはいえ、いつ断水するかわからないので、水をペットボトルにストックしました。
(実際に翌日からは、時間制限つきで断水しました。)
うちは水道とは別に井戸水もあります。(田舎あるある。)
井戸水の色が若干濁っていたので飲料水にはせず、トイレ用水としてストック。

家族で朝食を食べてから、テレビで被害の様子を見ていました。
熊本城や阿蘇神社が倒壊、益城町のひどい様子、阿蘇大橋が崩落、新幹線が脱線。
どこもよく知っている場所です。
私の大好きな場所が、こんな形で全国ネットのテレビに映るなんて、意味が分からん。
そんなことを考えながら、昼寝することにしました。
2泊も車で過ごしたので夜はほとんど寝ていませんでした。
寝れるときに寝ておこうと、ウトウトすると余震で起こされて庭に出る、の繰り返しで、結局昼もあまり寝れませんでした。