阿蘇山という山はない

熊本のことをいろいろと。

4月16日は何してたっけ?

4月16日(15日の深夜)に2回目の震度7で目が覚めて、まさかの津波警報

震源は前日と同じ益城町阿蘇
海に近い我が家とは、だいぶ離れてるのに津波
うそでしょ?
と思ったけど、警報は鳴っている。

家族と、とにかく海から離れるために車で避難することに。
財布や着替えは車に積んだままだったので私はスマホだけ持って、祖母を車に連れていく間に、母は妹に一緒に避難するから、今から妹宅へ行くと電話。
事態が飲み込めない祖母を怒鳴ってしまった。

車に乗ろうとするときに、父に
「たろうはどうする?」
と一応確認するけど、たろうくんは置いていくことに。
たくろうくんもよしだくんも連れていかなかった。
本当にごめんね、たろうくん。たくろうくん。よしだくん。

当時は、そんな感傷に浸る余裕もなく、玄関の鍵も締めずに家を後にしました。
そして近所に住む妹宅へ行くと、妹は小4の甥と小2の姪を車に乗せようとしているところでした。
妹家族と車2台で、海から離れようと移動します。
きのう車中泊した避難所は近所なので、津波の避難場所にはならない。
もっと遠くへ行かなきゃ。

父の運転で、とりあえず南区の川尻方面への道を走ると、すでに多くの車が避難を始めていて、渋滞になりそうでした。
停電してるので信号も消えてるし、道路には倒れたブロック塀の破片がいたるところに散乱して、道路もヒビが入ったり波打ったようにデコボコになったり、マンホールが飛び出して丘みたいになってるし、現実のことだと受け止めきれるものでは在りませんでした。

川尻へ向かう途中、渋滞して川の前で車が止まってしまいました。
本当に津波が来たら、後ろからの波と別に、川を逆流してくる波があるはず。
今止まっている場所は、ちょうど挟み撃ちになるかもしれなくて焦る。
けど、動かないものはどうしようもない。

そんなことを助手席で考えながら、ふと、窓の外を見ると、道路沿いの家から、80才くらいの腰の曲がったおばあちゃんがヨロヨロと一人で出てきたのです。
そして、その家の前にあった手押し車
を持って、フラフラと歩き出そうとされました。
こんな真っ暗闇で沢山の車が行き交うなか、一人で歩いて避難するつもりみたいでした。